일본문학,일본학 : 복택논길과 김옥균의 교류에 관한 고찰
분야
어문학 > 일어일문학
저자
고성행일 ( Go Seong Haeng Il )
발행기관
한국일어일문학회
간행물정보
일어일문학연구 2004년, 제48권 제2호, 281~298페이지(총18페이지)
파일형식
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    영문초록
    金玉均は1882(明治15)年3月から8月にかけて徐光範と共に日本を訪問した。京都の東本願寺に滯在している時に、連絡を受けた福澤は以前から李東仁を通して金玉均の人物·門地等を紹介されていたので、直ちに門人の寺田福壽に京都の東本願寺まで出迎えさせた。 福澤は、三田の自宅で金玉均に對面した時、金玉均が機鋒非凡な人物であることを見拔き、その性格が勇敢目つ明快であり、祖國の獨立を願う熱情に內心滿足と驚嘆を感じたと言ぅ。それで福澤は、金玉均を別邸に滯在するよう特別に配慮すると共に、金玉均を井上馨、後藤象次郞、伊藤博文、대외重信等の日本政界の重要人物や、當時財界の大物であっ澁澤榮一を始め多くの民間の有志に紹介した。これらの事實からも、福澤がいかに金玉均の淸廉潔白な性格に好意を寄せていたかが窺えよう。そのような金玉均にする好意は終始一貫して變らなかった。福澤は、金玉均の日本での亡命生活中、常に自ら精神的、金錢的援助を惜しまなかったのみならず、金玉均が旅行先で、福澤の弟子に借金をする時に保證人になり,自ら金玉均に代って借金を返濟しているのである。 更に、金玉均が小笠原島に强制的に隔離された時には、自ら『時事新報』に社說を載せ、日本政府の金玉均にする不當な處置に抗議すると共に、多くのつてを賴って金玉均釋放運動を展開するのである。 福澤は金玉均が上侮で暗殺された時、弟子である駒입眞淨寺寸の住職·寺田福壽に金玉均の法名を命名させ、位牌を作りそれを自宅に安置して47日に當たる4月24日に自宅で法要を行なった。金玉均の死後、福澤の同情は遺族の上にまで及び、其未亡人と忘れ形見の1人娘との不辛なる境遇を憐み、これを東京に呼び寄せて母娘を世話しようとまでしたのである。このような福澤の金玉均に對する人間的な交流は、朴泳孝をはじめとする他の朝鮮開化派との交流には見られない点である。 以上のように,福澤が朝鮮開化派の日木での亡命生活中、終始一貫して精神的、物質的援助を行なったことは良く知られた事實である。勿論、福澤が朝鮮開化派を支援した背景には、彼等を利用して朝鮮改革及び朝鮮への內政干涉を行なうための`基盤造成`という面が全くなかったわけではないが、そういった`利用論`だけでは割り切れない面が福澤と朝鮮開化派との交流、特に金玉均との交流に見ることができる。
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