皇民の『語』から解放民族の『日本語』へ -韓半島北部1937年から1950年, 北韓人民軍幹部李學求の事例を中心に-
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영문초록
日本帝國は1945年8月に崩壞し, 植民地朝鮮 半植民地灣州から日本人は引揚げる. 韓半島北部からの引揚げは、滿州から避難民も含み約30萬人で, 悲慘な樣相を呈した. 引揚げ者のほとんどの體驗手記には、保安隊が登場する. 引揚者は保安署や保安隊員と交涉し, 彼らに賴り, おびえ, 38度線を越えた. 保安隊は46年秋には日本人引揚げをほぼ完了し, 全6道を網羅した保安局を持ち, 中央集體化されていく.引揚げ交涉の場では日本語が使われた. 解放直後、韓半島北部の日本語普及率は, 人口の約20%前後とされ, 韓半島全體では低くはなかった. 日中戰爭から太平洋戰爭時に, 韓半島では朝鮮軍の意向を受け, 日本語强制政策が施行されていた. 日中戰爭開始, 翌38年2月に「陸軍特別志願兵令」, 3月には朝鮮語授業が隨意科目となる第三次朝鮮『育令』改正が施行された. 『內鮮一體』は敎育現場のみならず, 職場, 地域に浸透し, 41年太平洋戰爭突入後, 42年5月『兵令』施行が閣議決定され, 44年から施行された. 皇國臣民精神と日本語能力が皇軍兵士として必要であるが, 現狀では, 徵兵制が敷かれても, 危懼される所であった. 朝鮮軍と總督府の徵兵制に關する打合會議では『國語ト徵兵トノ關係ノ露骨ナル表現ハ國語ノ普及ヲ妨クルノ結果ヲ招來スルノ』との極秘文書もある。このように, 日本語普及と志願兵 徵兵問題は結びついた政策である一方で, 施行のための表現は矛盾を含み, 困難を要する政策であった. 本論文前半では, 5年後(47年)の『國語全解』を目指すという韓半島北部における日本語强制政策を、42年の總督府作成の『府尹郡守會議報告書綴』み解いて考えた. 徵兵制實施のため各道知事からの『國語』普及についての諮問に對する答申書がつけられた會議報告書である. 皇民化精神を具現すべき『國語』强制の名目は空洞化せざるを得ない狀況が分かる. 鹹鏡北道では, 全道の中でわずかながらトップの日本語普及率を誇っていた。解放直後日本語が使われた例として、この鹹鏡北道明川郡で、日帝强占下では小學校の『國語』敎師, 解放後は保安隊員として明川郡の隊長になり, 羅南の保安隊から人民軍へ入隊し、軍官として出世していく李學求の軌跡を追った。個人履歷の中に, 韓半島北部解放直後の政治が見えるからである. 朝鮮戰爭で捕虜となり, 巨濟島收容所で捕虜反亂を指導して日本でも名が知られた人物となった. 時代の支配者が要求した政策を, 次と身につけ出世していった李學求であるが, 祖國で身に付けた新たな能力は、政權に利用されたまま生涯を閉じる. 日本語といい, ソ連軍占領下のマルクス レ一ニン思想といい、近代戰法といい、めまぐるしく短い學習期間であった.
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