단카와 영화의 상호매체성 연구 -데라야마 슈지의 가집 『전원에 죽다』의영화화를 중심으로-
분야
어문학 > 일어일문학
저자
박지영
발행기관
한국일본언어문화학회
간행물정보
일본언어문화 2012년, 제22권 517~537쪽(총21쪽)
파일형식
1b900529.pdf [무료 PDF 뷰어 다운로드]
  • ※ 본 자료는 참고용 논문으로 수정 및 텍스트 복사가 되지 않습니다.
  • 구매가격
    5,100원
    적립금
    153원 (구매자료 3% 적립)
    이메일 발송  스크랩 하기
    자료 다운로드  네이버 로그인
    영문초록
    この論文は、寺山修司の歌集 田園に死す の映畵化を通じて、短歌と映畵の間メディア性について探求し、現代文學として短歌の見せ得る新たな地平を探してみようとしたものである。まず、 田園に死す が映畵化に成功した理由として、寺山の短歌に俳句的レトリックを借用した特質があったことと、その根底に映畵のモンタ-ジュ理論への認識があったことを指摘することができる。形式にとらわれない創作態度は、芸術形式の變換に注目する間メディア性の基本原理と相通じるもので、樣樣なメディアと疎通できる可能性を示唆していると言える。第二に、短歌が映畵の中に引用され、映像メディアに置き換えられる樣相を調べた結果、短歌と映像イメ-ジは、それぞれの媒?的特性を維持しながら互いに對話する關係で交わっていることが分かった。短歌の文字テキストは映畵の中にス-パ-インポ-ズされることによって、もう一つの映像として視角化されている。また、短歌の內容と映像とがずれるようにモンタ-ジュされたことは主題を重層的に變奏していく效果をもたらしたと思う。最後に、このような映像メディアとのコミュニケ-ションを通じて期待される效果として、私性の制約を超えた短歌の創作及び受容の可能性を見つけることができた。基本的に서事性を必要とする映畵は、短歌の持つ斷片的なモチ-フを物語に具?化し、短歌の主?として虛構的人物を創造するのである。?ち、短歌は映畵という異質のメディアと出會い、「方法としてのフィクション」という新しい表現を獲得したといえる。 田園に死す の映畵化は、現代短歌のメディア活用の重要性を示唆する事例として價値が認められる。
    사업자등록번호 220-87-87785 대표.신현웅 주소.서울시 서초구 방배로10길 18, 402호 대표전화.070-8809-9397
    개인정보책임자.박정아 통신판매업신고번호 제2017-서울서초-1765호 이메일 help@reportshop.co.kr
    copyright (c) 2009 happynlife. steel All reserved.