六朝時代의 漢字文化 -「萬」「万」자를 中心으로-
분야
어문학 > 국문학
저자
쓰치야사토루
발행기관
우리한문학회
간행물정보
한문학보 2012년, 제27권 407~421페이지(총15페이지)
파일형식
0e600554.pdf [무료 PDF 뷰어 다운로드]
  • ※ 본 자료는 참고용 논문으로 수정 및 텍스트 복사가 되지 않습니다.
  • 구매가격
    5,500원
    적립금
    165원 (구매자료 3% 적립)
    이메일 발송  스크랩 하기
    자료 다운로드  네이버 로그인
    국문초록
    본 논문은 중국 六朝시대의 한자 문화가 후세에 미친 영향을 밝히기 위한 것으로 ‘萬’, ‘万’이라는 글자체의 사용 상황을 조사한 것이다. 주로 六朝시대의 石刻자료를 활용하였다. 이를 살펴보면 万자가 주로 사용되게 된 것은 5세기부터 6세기에 걸친 현상이라는 것을 알 수 있다. 따라서 舊초本에서 万자를 자주 볼 수 있는 것은 5세기에서 6세기에 걸친 육조 시대후기의 万자 사용의 흐름을 계승한 것이라고 할 수 있다. 한편 『干祿字書』 에서는 ‘萬’과 ‘万’은 병행되어 사용되고 있음을 확인할 수 있었다. 대다수의 字樣書에서는 이체자를 용인하지 않는 것과 대조적인 모습이다. 따라서 『干祿字書』를 통해서도 육조시대의 이체자에 대한 인식의 일면을 엿볼 수 있다.
    영문초록
    一、日本구초本における『万』字の使用についての先行硏究 はじめに、本稿では「『萬』『万』字を中心として」という副題を附して、 論点を絞り入んでおくこととする。その目的とする所は、六朝時代における漢字文化の有する意義や後世への影響を明らかにすることにある。本 稿は、その端緖として、「萬」「万」という兩字體の使用奬況の調査を通じ て明らかとなったことを報告するものである。また、この報告を通じて、 ささやかながら、今後の東アジアにおける漢字文化への提言が果たせれ ば、幸いである。 さて、この「萬」「万」という二つの漢字は、發音も意味も同じである が、ただ字體が異なる。本稿では、このような關係にある文字を「異體字」 と稱す。 現在、日本や中國(大陸)では、常用漢字や簡體字といった字體が定め られており、そこでは畵數の少ない方の「万」字が普通に用いられている。 一方、 畵數の多い方の「萬」字はいわゆる康熙字典體や繁體字と呼ばれ、 台灣や香港において、或いは朝鮮漢字として一般的に使用されている。 以上は、ごく大雜把な現在の奬況である。 ここで少し時代を遡ってみると、宋以後普及し始めた印刷された本― すなわち版本·刊本では、筆者の見る限り、ほとんど「萬」字が使用され る。 それでは、更に古い時代はどうであろうか。ここで紹介したいのは、日 本に傳存する구초本である。구초本とは、遣唐使らによって日本に將來された唐초本に由來し、おおむね日本の奈良時代(8世紀)から室町時代 (16世紀)頃までに書寫された寫本群である。 【資料1】は、そうした구초本のひとつ、『文選集注』の一部である。矢 印を附した行の下から5文字目に注目されたい。ここでは畵數の少ない 「万」字が用いられているのである。管見の及んだ限りでは、구초本の全て が「万」字を用いているわけではなく、「萬」字と倂用されることもあるが、 【資料2】に引用した斯波六郞氏は、「古초本多く『万』の字を用ふ」と指摘 しており、おおよその傾向として「万」字が多用されていたことが認められ ている。また斯波氏は、漢代には卽に「万」字の使用が見られるとして「漢建平鄙縣碑」を例に拳げている。 ところで、この「漢建平鄙縣碑」は、【資料3】に拳げた『隷續』に處れ ば、前漢末哀帝の建平五年(前2年)の作である。また、2枚目の【資料 4】には「漢建平鄙縣碑」と時代を同じくする(前漢末から後漢初)木簡の使 用例も拳げておいたが、ここにも「万」字の使用が見られる。 してみれば、前漢末から後漢初にかけて、「萬」「万」兩字體が通用して いたことは確かである。しかし、これらの例は時代的にも地域的にも限定 されたものであり、また唐代から離れること遠く、さらに現在確認される 用例數も決して豊富とは言えない。從って、斯波氏の言う「古초本多く 「万」の字を用ふ」という奬況に直ちにつながるかどうかは、前漢以後、繼續的に「万」字が多用されていたことを檢證しなければならないであろう。 これが本稿の問題提起である。 そこで、まず字書の調査を行なった。【資料5】を參照されたい。A.後漢の許愼『說文解字』、B.六朝宋の『字林』では、「萬」字の存在は確認で きたが、「万」字については未詳である。F.梁の『玉篇』に至ってはじめて 「万『字についての記述が確認できる。もっとも、これらの字書の幾つかは 散逸や再編など傳承の過程に問題があり、現行本に基づく調査には限界 がある。ただ、興味深いのは、H.唐の『干祿字書』において「萬」「万」兩字滯を「竝正」としていることである。このことは、後漢から唐に至るまでの 期間に「万」字の使用が一般化していた可能性を示唆している、と考えら れないであろうか。 二、漢魏六朝石刻資料による用例數の調査 そこで、筆者は漢魏六朝の石刻資料を用いて、「萬」「万」兩字體の用例 數の調査を行った。調査に當たっては、底本として毛遠明『漢魏六朝碑刻 校注』(線裝書局、二○○八年)を用いた。同書は比較的最近までの新出土 資料も採錄し、また拓本の影印と文とを見比べるのに便利なためであ る。【資料6】は、底本に收載される石刻資料1417通における「萬」「万」兩字體の用例554例を摘祿したものである。但し、紙幅の都合上、本稿では 省略する。また【資料7】は調査結果に基づいて、便宜上50年ごとに區 切って用例數を計上したものである。同表「時期」欄の括弧內は西曆である。 なお、4世紀までの「万」體用例數が0例となっているのは、拓本で確認で きたもののみを集計するという筆者の調査方針のためであって、「万」字が 全く使用されなかったことを示すものではない。驛文によっては、判別の 困難な或る文字を「万」字と解驛している場合がある。かかる驛文をも先 行の硏究成果として利用する立場もあるであろうが、今回はそうした方 法を採らなかった。 さて、この表に處れば、「万」字が普通に使用されるようになったのは、 第9期から第12期すなわち5世紀から6世紀にかけての現象と見受けられ る。特に第10期(5世紀後半)以降は、「萬」字の用例數を上回っている。但 し、第11期(6世紀前半)の、一見すると爆發的とも思われる增加は、石刻 資料の出土數の偏りに因るものと考えられる。この時期に屬する石刻資 料は、實に全體の約1/3を占めているのである。しかし、比率で言えば、 第10期·第11期は約3倍、第12期は約1.5倍であり、この時期には「万」字の 使用は一般的になっていたと考えて良いであろう。 ここで、「萬」「万」兩字體に對する當時の人□の意識が窺い知れる事例 を【資料8】【資料9】に拳げておく。 【資料8】は525年の墓誌であり、第11期に屬する。1行目3文字目に「萬」 字が使用されているが、同じ墓誌中、2行目下から8文字目には「万」字が 使用されているのである。 同樣に【資料9】は568年の墓誌であり、第12期に屬する。ここでは、2 行目1文字目に「萬」、4行目下から2文字目に「萬」が見られる。ところが6 行目(最後の行)7文字目には「万」字が使用されているのである。 これらの例から、この時期には「萬」「万」兩字體が全く同じように扱わ れていたことが判る。 以上の調査結果に處れば、구초本に頻見する「万」字の使用は、直接的 には、六朝後期(5世紀~6世紀)の「万」字使用の大きな流れを受け繼いだも のである、と考えられる。これが當初の問題提起に對する筆者の解答で ある。 しかし、このように結論づけた場合、次のような反論も提出されるので はあるまいか。すなわち、唐代「字樣書」の出現によって、六朝期の異體 字は整理統合されていったのではないか、と。「字樣書」とは、科拳の整備 にともなって、(主に聖典の)正しい字體を考究したものである。これら「字樣書」の多くは、「正體」と「非正體」とを區別し、「非正體(別字·異體字)」 を排除する考え方に立つものである。 これに對して筆者は、『干祿字書』に見られる異體字に對する捉え方に 注目したい。數ある「字樣書」の中でも、ひとり『干祿字書』のみは、字體 について興味深い考え方をしているのである。 三、字體に對する顔氏一族の考え 【資料10】に引用した西原一幸氏の一連の論考に處れば、『干祿字書』に おける「正體」「通體」「俗體」という區別は、「通體」「俗體」の使用を否定す るものではなく、むしろ「正」「通」“俗」それぞれの字體に相應しい實用的 役割を提示したものであって、それは“正體」に次ぐ新たな字體の範疇を 創出したものなのである。 本稿で取り上げた「萬」「万」兩字體の場合は、『干祿字書』においては 偶□「竝正」とされている。しかし、六朝時代の石刻資料を眺めている と、當時樣□な異體字が「万」字のように同時幷行的に行われていた樣子 が窺われる。その幾つかの例は、【資料5】の点線の內に示しておいた。異體字を許容しない立場を取る多くの「字體書」に對して、異體字にも「通體」 「俗體」というポジションを與えた『干祿字書』は、當時としては確かに異色 と言って良いであろう。かくて、六朝時代に出現した大量の異體字は、 その後も使用され續けてゆくことを許されたのである。 ところで、顔元孫『干祿字書』の異體字に對する態度は、祖先顔之推の 考えを受け繼ぐものであった。【資料11】の『顔氏家訓』書證篇(之推)に は、『說文解字』を文字の規範とすることの限界や、用途に應じて「俗」を 許容するに至った苦惱が綴られている。【資料12】の『干祿字書』序(元孫) に言う「去泰去甚」は、『老子』二十九章に見える語であり、行き過ぎたこ とや極端なことを避ける意である。また、これに續けて字體の「輕重」を適 宜用いるべきことを說く。 之推は六朝末から隋の人である。つまり、まさしく多樣な異體字が使用 されていた時代に生きた人物である。してみれば、顔氏一族の學問、特に その文字學は、六朝時代の漢字文化の中から生まれたものと言えよう。 今日、樣□な字體が行われている東アジアの漢字文化を考える際に も、顔氏一族の考えは充分傾聽に値するように、筆者には思われる。
    사업자등록번호 220-87-87785 대표.신현웅 주소.서울시 서초구 방배로10길 18, 402호 대표전화.070-8809-9397
    개인정보책임자.박정아 통신판매업신고번호 제2017-서울서초-1765호 이메일 help@reportshop.co.kr
    copyright (c) 2009 happynlife. steel All reserved.