[일본어학] 독도영유권문제

 1  [일본어학] 독도영유권문제-1
 2  [일본어학] 독도영유권문제-2
 3  [일본어학] 독도영유권문제-3
 4  [일본어학] 독도영유권문제-4
 5  [일본어학] 독도영유권문제-5
 6  [일본어학] 독도영유권문제-6
 7  [일본어학] 독도영유권문제-7
※ 미리보기 이미지는 최대 20페이지까지만 지원합니다.
  • 분야
  • 등록일
  • 페이지/형식
  • 구매가격
  • 적립금
자료 다운로드  네이버 로그인
소개글
[일본어학] 독도영유권문제에 대한 자료입니다.
목차
1. はじめに
2. 安龍福事件-竹島一件 (1693~1696)
3. 1905年、独島の島根県編入
4,対日講和条約 Treaty of Peace with Japan
5. 大韓民国政府の平和線 (李承晩ライン) 宣言
6. 最後に
본문내용
2. 安龍福事件-竹島一件 (1693~1696)
韓国側 - 安龍福は独島と鬱陵島を朝鮮の土地として公印させた民族のヒーローである。
日本側 - 安龍福は詐欺師にすぎない。

 安龍福事件は我々もよく知っている、朝鮮人の漁師である安龍福が日本に行って、日本人と話の決着をつけて、独島と鬱陵島が朝鮮の土地であることを、当時日本の政府である幕府に公印された事件である。しかし、そう簡単な事実であったら、なぜ今まで日本側と韓国側の間に虚構論難が生じているのだろうか。

◎ 韓国側からみた安龍福
- 大谷•村川の両家が鬱陵島に行く渡海許可を幕府から得て、この島で鬱陵島の経営をしていた時代の1693年、鬱陵島から漁業をしていた米子の大谷家の漁師たちは安龍福などと遭遇し、領海侵犯を証拠に安龍福と朴於屯、二人を引きつれて日本に行った。しかし、安龍福は当時、日本を相手に大胆に交渉し、そして江戸幕府から鬱陵島などが朝鮮の土地であることを立証する文章をもらい、帰国する。しかし、文章は帰国途中、大馬島主に奪われ、朝鮮に帰国してからは逆に越境の罪を犯したということで、入獄された。このことによって、朝鮮と日本との外交的紛争が起ったが、鬱陵島などの領有権紛争は進展がなかったのである。2年後、解放された安龍福は漁師16人とともに鬱陵島に行って、日本人がいるのを確認し、追い出したあと、自ら「鬱陵于山両島監稅官」という官職の称号を勝手に名乗ったのである。そうして、漁師11人と共に日本に行って、宿耆州の太守と交渉した。その結果、宿耆州の太守は安龍福に竹島と松島を侵犯しないことを約束した。しかし、その後安龍福は越境罪人として、再び逮捕され、官職の偽証などの罪で死刑と下されていたが、南九萬の弁護で命だけは助かり、島流しの暮らしをすることになる。翌年の1967年1月、大馬島主は江戸幕府の決定を知らされ、1699年には日本側が竹島と松島を朝鮮の領土であることを再確認する最終的外交文書を朝鮮の朝廷に渡した。この指示は日本内務省の「公文録」に含まれている。
참고문헌
아시아경제 www.newsva.co.kr
위키백과 http://ko.wikipedia.org/
네이버 백과사전 http://100.naver.com/
독도본부 http://www.dokdocenter.org/
田中邦貴(たなかくにたか/自民党員): 竹島問題 http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/
日韓間の竹島(独島)領土問題の概要 http://toron.pepper.jp/jp/take/index.html
국회도서관 http://www.nanet.go.kr/
毎日新聞 http://mainichi.jp/

모의재판 청소년 법정 : 우리들이 꾸며가는 법정이야기 (대한교과서, 법무부, 2006)
한국의 독도 영유권 연구(서울, 경인문화사, 신용하, 2006)
한일어업협정에 의한 한국 독도 영유권 훼손 개요 - 김명기(명지대학교 명예교수•천안대학교 석좌교수)
독도와 대일강화조약 제2조 - 김명기(명지대명예교수․천안대석좌교수)
독도영유권과 연합국의 독도문제 처리 - 신용하(한양대학교 석좌교수)
독도영유권 문제와 샌프란시스코 조약 - 신용하(서울大 敎授, 한국사회사)

오늘 본 자료
더보기
  • 오늘 본 자료가 없습니다.
해당 정보 및 게시물의 저작권과 기타 법적 책임은 자료 등록자에게 있습니다. 위 정보 및 게시물 내용의 불법적 이용,무단 전재·배포는 금지되어 있습니다. 저작권침해, 명예훼손 등 분쟁요소 발견 시 고객센터에 신고해 주시기 바랍니다.