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中宮定子の淸少納言へのメッセ-ジ -「山吹」に秘められた意味-
김영  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 135~148페이지(총14페이지)
平安朝「山吹」は貴族達の間で好まれ、文付枝としても愛用されていた。その中でも、『枕草子』の本章段で用いられた文付枝「山吹」は、長い間里歸りしていた淸少納言に對する定子の氣持ちを代弁する役割を果たしている。道長家の筋の人という준にも關わらず、しばらくの間の定子からのご無沙汰と無音を、「山吹」を通し淸少納言に弁明し、それと同時に變わらぬ定子の淸女への深い愛情と信賴を「いはで思ふぞ」の歌一句と「一重山吹」に입めているのであろう。そして、さらに、万葉からの「山吹」の傳統、卽ち當分離れていたから、早く私のところに來てくださいというメッセ-ジが奧に含まれていたのであろう。贈り物としての「山吹」は、古代万葉集にも見えるが、平安朝に入ると、文付枝「山吹」は頻繁にやり取りされるようになる。特に、古今集以來ご無沙汰を連想させ、相手の訪問を促すメッセ-ジを持つものとして用いられていた。それが『枕草子』の本章段においては文付枝のみをもって、定子の淸少納言への無言のメッセ-ジを含むものとして用いられたのである。ま...
TAG 山吹, 一重, メッセ-ジ, 花びら, 風流
동아시아에서의 하이쿠의 전개양상과 번역 -한국과 중국을 중심으로-
김은철  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 149~172페이지(총24페이지)
東アジア、いわば韓國と中國での俳句の歷史や現況は意外によく知られていないのが現實である。それならば俳句は東アジアにどのように紹介され、受け入れられたのだろうか。そして、それが今の韓國と中國での俳句の存在樣相とどんな關係を持っているのか。また韓國語や中國語に飜譯される俳句の樣相の中で見られるのは何であろうか。本論文ではこのような疑問を持って、韓國と中國での俳句の歷史及びその存在樣相、飜譯例について調べることにした。俳句は明治時代以後に日本人移住民たちによって韓國と中國で根付き始めた。このように始まった俳句は、中國と韓國で新しい詩形式の誕生の土台となった。韓國の場合は、俳句に對する持續的な硏究を續けて來ながら、2006年に俳句の定型に基づいたK-HAIKU(韓俳)という新しい詩の形式を作り出す動きを見せており、韓國語で俳句を詠ずるK-HAIKU(韓俳)大會が開かれた。中國の場合は、1980年に俳句の<5·7·5>定型に基づいたHANPAI(漢俳)が作られた。また、俳句の飜譯においては、原詩の...
TAG 俳句, HAIKU, リズム, Rhythm, HANPAI, 漢俳, K-HAIKU, 韓俳, <5, , 5>
戰後派と私小說 -大岡昇平と島尾敏雄の場合-
강우원용  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 173~190페이지(총18페이지)
戰後、私小說は捨てるべき舊文學として非難の聲にさらされた。しかし、にもかかわらず、私小說の生命力が途絶えることはなかった。絶えるところか、戰後新しい文學を築こうとした戰後派、中でも大岡昇平や島尾敏雄らの手によっても書き繼がれたのである。むろん大岡昇平や島尾敏雄の作品は旣存の私小說の形式とはだいぶ違う。だが「私」は何者であるのか、生身の自分を探し求める姿勢と、その自然體に近い自分を公表しなければならない必然性は、私小說なるものの問題意識と深く關わる。むしろ「私」を追求することで言えば、戰前の私小說をはるかに越える執拗ささえ見せている。本稿ではこういった二人の戰後派作家の「私小說性」について論じる。彼らの私小說に表れる作者の意志、作品の力は、私小說という文學形式を今日まで持續させた生命力の根幹だったと言える。
TAG 私小說, Watakushi-shosetsu, 戰後派, the postwar generation, 大岡昇平, Ooka Shohei, 島尾敏雄, Shimao Toshio
수대나태자(須大拏太子) 설화의 한일비교 연구 -『삼보회(三寶繪)』와 『석가여래십지수행기(釋迦如來十地修行記)』 작품의 비교고찰을 중심으로-
김태광  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 191~213페이지(총23페이지)
本硏究は, 有名な本生譚の一つである須大拏太子(須太拏太子, 布施太子)說話の韓日比較硏究を試みたものである。主たる硏究對象は漢譯佛典と韓日兩國の本生說話集の代表作といえる『釋迦如來十地修行記』と『三寶繪』である。本硏究の目的は本說話の漢譯經典の流れの中で韓日兩國における須大拏太子譚の特徵と說話構造の解明にある。檢討の結果,『釋迦如來十地修行記』の出典はこれまでの硏究成果とは違って、程度の差はあるけれども『三寶繪』と同じく『太子須大拏經』と『六度集經』であると推定される。また『釋迦如來十地修行記』と『三寶繪』の本說話の末尾にみられる敍述內容の類似理由としては、兩作品の說話敍述上において一つの基準となった『六度集經』に依って起きた現像であったことなどが確認される。そして『釋迦如來十地修行記』の場合は布施と修行に焦點が置かれ、說話內容において多くの要素が省かれていた。これに對し『三寶繪』には說話末尾の『大唐西域記』の引用等、現實感あふれる敍述構造を作るため最大限努力していたことがわかった。
TAG 須大拏太子, 須달拏太子, 三寶繪, 釋迦如來十地修行記, 金牛太子
鄭人澤の日本語小說硏究 -「淸凉里界외」と「覺書」を中心に-
박경수  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 215~235페이지(총21페이지)
作家鄭人澤の總體的な文學傾向と日本語小說「淸凉里界외」と「覺書」の分析を通じて次のように要約整理することができる。今までの先行硏究では鄭世澤が弟になっていたが系圖資料を通じて鄭世澤はいとこ兄で、實弟は鄭大澤に直した。さらに、`國語文芸總督賞`または`國語文學總督賞`に記錄されていた賞名に混線があったことも、當時の新聞記事を根据に`國語文學總督賞`に直した。そして先行硏究者金シニョン(2000)が整理した鄭人澤の文學作品に、小說7編、隨筆7編、評論2編、報告文3編、アンケ-ト 1編(總20編)を新しく追加した。「淸凉里界외」と「覺書」での貧困は、中心人物にとって極度の自己恥辱感に陷らせるものであった。これらの作品では未來の不透明な貧困によって發生した不安意識と疏外意識に表出された內面心理に焦点が合わせられた鄭人澤特有の心理主義文學世界が表われている。「覺書」では、展開される一連の行動のためにあらかじめその正當性の立地を用意している構造になっており、主人公<私>の生まれから多くの成長過程...
TAG 太平洋戰爭, The Pacific War, 宣傳, 煽動, agitation and propaganda, 忠孝, Loyalty and filial piety, 指向點, a directional point, 植民地, a colony
『太閤記』における『史記』の受容樣相
박창기  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 237~254페이지(총18페이지)
小瀨甫庵の太閤記は豊臣秀吉についての最初の總合的傳記として注目される。旣存の硏究の中では、甫庵が儒學のイデオロギによって秀吉に關する記錄を歪曲し、人物像を咎めたことで惡評を蒙っている。確かに甫庵は秀吉を批判することを表明しているが、しかし必ずしもその意圖が作品でかなったことではない。むしろ作者の意圖に反して秀吉英雄像が作られたのである。太閤記の秀吉英雄像は特に、甫庵が引用している、司馬遷の史記の內容と人物によって作られている。日輪の胎夢という出生の奇瑞は、秀吉自らが作り上げた對外宣傳用であったが、甫庵はこれを作品の冒頭に揭げた。これは作品全體で天命を受けた秀吉の英雄像を表す柱となった。秀吉は明君である織田信長によって選ばれた武將であり、天下の器、國の器として稱えられた。そして信長によって導かれた文武を兼備した人物として作られた。
TAG 太閤記, taikoki, 史記, shiji, 豊臣秀吉, Toyotomi Hideyoshi
平安物語文學の和歌表現 -「梅の香」と「春や昔の」を中心に-
배정열  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 255~272페이지(총18페이지)
본 논문은 산문인 『겐지모노가타리』가, 와카표현을 문장표현에 인용함으로서 발생되는 의미에 대한고찰, 즉 와카와 산문문학의 연관관계에 대한 고찰이다. 와카표현에 있어서 매화의 향기가 갖는 의미를『고킨와카슈』를 중심으로 고찰하고, 표현의 변화를 『만엽집』, 헤이안 8대 칙찬집과 사가집(私歌集)에서 고찰했다. 또한 흥미로운 사실은 와카가 특정 인물과 연관되어 설화(說話)화 하는 것이다. 다음으로 산문문학 즉 모노가타리 문학의 예를 보면, 『이세모노가타리』(伊勢物語)4段에 『고킨와카슈』와 동일 내용이 등장하며, 『에이가모노가타리』(榮花物語), 『오오카가미』(大鏡), 『하마마츠츄나곤모노가타리』(濱松中納言物語)등에도 와카적 표현인「春や昔の」가 등장한다. 각 작품의 장면의 의미와 유사성등의 고찰을 통해, 산문문학의 표현에 이용된 와카표현의 의미를 고찰했다.
TAG 和歌表現, Waka Expression, 春や昔の, haru ya mukasi no, 梅の香, Ume no ka, 梅の人事性, personal affairs
엔도 슈사쿠(遠藤周作)의 『유학(留學)』론 -"거울" 그 경계를 둘러싸고-
안영신  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 273~291페이지(총19페이지)
遠藤周作のフランス留學の體驗を基にしている『留學』は、三つの獨立した內容をもつ章で構成されている。それぞれの主人公たちは、みんな西歐という異質的な空間で日本人を眺める西歐のまなざしと對立し、葛藤している人物である。本稿では、相手を一方的に映し出す恣意的な固定觀念、卽ち、葛藤を生み出す場である「鏡」を媒介として、その境界に注目したい。というのは、その境界をめぐって知識權力を行使する者と、排除された他者との關係性が生み出されるからである。本稿ではこのような關係性を中心として、「鏡」の境界線上で葛藤している個體が、主體的な存在として自分の眞の姿を追及して行く過程を捉えてみた。『留學』は、我我を捉えている利己的で排他的な歪んだ「鏡」について、再び考えさせる作品である。
TAG 거울, mirror, 권력, power, 경계, border, 타자, L`autre, 글쓰기, writing
오에 겐자부로 문학과 민속학의 이인(異人)
유승창  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 293~312페이지(총20페이지)
民俗學は民族の內面的な自己認識の一つの方法であり、民族を共同體意識の深層から捉えようとするその方法の中には、つねにナショナリズムへとむかう求心的な契機をはらんでいる。大江健三郞が民俗學的なモチ-フに注目した1960年代の後半は、「沖繩返還運動」と連動して、民俗學とナショナリズムが融合した「單一民族論」が高揚していた。『狩獵で暮したわれらの先祖』は、このような時代狀況と民俗學的なモチ-フが作品の基本軸となっており、日本人の共同體意識の深層に潛んでいる境界外部に對する「恐れ」の意識を描き出している。特に、本作品は、柳田國男の「日本先住民說」にモチ-フを與えた「山人」を現在に實在する他者として設定し、文明と野蠻の對立構造をそこに重ね合わせることで、日本人の文明的な自意識に潛んでいる優越的な自己同一性を批判的に捉えている。と同時に、當時日本人という單一民族幻想の空間的な場所として注目されていた「沖繩」を「山人」のイメ-ジと結びつけることで、文明意識のもとで規範化されてきた共同幻想のヒエラ...
TAG 민속학, folklore, 내셔널리즘, nationalism, 異人, stranger
근대초기 <일본(인)론>의 전개와 <일본문학사>의 위치 -<일본문학사>의 서양 및 아시아 표상을 중심으로-
정병호  한국일본어문학회, 일본어문학 [2007] 제33권 313~332페이지(총20페이지)
本論文は、1890年以降活發に刊行された<日本文學史>が西洋と東洋、あるいは西洋文學と東洋文學をどのように記述し、またそれが<日本文學史>の中でどのように變容されてきたのか、それを表象する際にどのようなイデオロギが意圖されていたのかを分析したものである。このような考察を通して、<日本文學史>が當時の「日本(人)論」とどのような關係を結んでいたのかを明らかにし、<日本文學史>の中に含まれている文學のイデオロギを解明しようとした。1890年代の<日本文學史>は、當時の「日本(人)論」のように、西洋(文學)や東洋(文學)に對して、比較や排除の戰略を通して自國文明の優秀性を論理化し國民の愛國心を養成しようとした。當時<日本文學史>の目的は、日本文學と日本文化の優秀性を體系化することにあったため、西洋文學(史)そのものも克服の對象として見なされたり、日本文學の歷史に比べその價値が低いものとして評價されたりした。この態度は、當時のナショナリズムと結び付いて形成された「國語」思想に基づき、...
TAG 日本文學史, Japanese Literary History, ナショナル, アイデンティティ, National Identity, 日本人論, A Discourse of the Japanese
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